第四章 風雲来る

 「どうやら結界を破ったぞ」
 不気味な黒装束から、爛々たる瞳を覗かせる魔道の鬼士。「片目の魔道」の配下の中でも、とくに魔力の強い妖怪で組織された一団である。そのひとりが得意げに口を歪めた。
 『この地図の効果は素晴らしいものだ。やはり、あの男が描いただけはある』
 片目の魔道は、手にした羊皮紙と塔に交互に目をやりながら、傀儡を導いていた。
 「彼奴を引き込んだのは収穫でしたな。これで我ら積年の悲願を果たす事ができるというもの」
 『ふん。どこまで信用できるか判らぬコウモリだがな、利用できるものはするだけだ』
 そう呟いて含み笑いを浮かべると、魔道は前方を指差した。
 『見ろ、ついに辿りついたようだ』
 鬼士たちは「事ここに得たり」と、大挙して塔へ押し寄せる。
 が────
 その直前で見えざる"何か"に衝突し、雪崩れをうって倒れこんだ。

 「な、なにごとだ」
 慌てて身を起こすと、空中に一枚の画用紙が貼り付けられていた。訝しみ凝視する妖魔。紙切れには、色鉛筆で「レンガの壁」が描いてあった。
 『ちゃちな画術だ。剥がせば効果は消える』
 片目の魔道が指示するので、鬼士は困惑しながらも手を伸ばす。だがその瞬間絵は消え、彼らの前に先程までとは全く違う光景が映し出された。細長い林道。その向こう側に、黒髪の少女が佇んでいる。娘は真っ赤な瞳でこちらを見据えると、冷ややかな笑みを浮かべて背を向けた。 
 「画術師か、逃がすな」 魔族は一斉にその後を追う。が、どれだけ走っても、なぜか少女との距離は縮まらない。彼女はそこに立っているだけだというのに!
 必死で駆ける魔物の群れは、ふと足元に違和感を覚えて視線を落とした。何か踏んでいるようだ。
 果たして土の上には、大きな円が描かれている。はっと胸騒ぎがして、その場を離れようとする魔道──だが時すでに遅く、地面に巨大な落とし穴が開いて彼らを飲みこんだ。
 「しまった!」 うろたえて掻く妖魔たち。すると頭上から、今度は油絵に使うような画布がひらひらと舞い降りてくる。ぽかんとした表情で見ていると、突如それが閃光を放った。
 激しい爆音が響き、灼熱の火球が魔物を襲う。とっさに参謀が呪文で防いだので、辛くも焼失という最悪の事態は免れた。

 すっかり憔悴した一行は、必死で穴から這い上がると、生きた心地もなく繁みに座りこんだ。そんな彼らの前に、ふらっと一匹の仔猫が現れて、鳴き声をあげる。
 「なんだ、猫か」 ふっと笑い視線をそらす鬼士。だが、不意に"けもの"が口を開いた。
 「なに呆け面してんのよ。ばーか」
 ぎょっとして振り向くと、小動物は一目散に逃げ出す。
 『あれも画術師だ。虚仮にしおって』
 片目の悪魔は舌打ちして叫び、傀儡に目で合図する。それを受けた鬼士たちは、立ち上がって魔法の準備を始めた。
 『魔族を舐めるのも、ここまでだ』
 魔道が何ごとか呟くと、その身体は禍々しい黒い光に包まれた。そしてわずかな時が満ち、彼の十本の指から青白い電光が放たれる。それは一直線に、またあるいは緩やかな曲線を描いて、寸分違わず金毛の獣を狙い撃たんとしていた。
 「やば…っ」
 変身したクレヨンは、あからさまな危機に瀕して蒼ざめた。必死で身をかわし走り続ける。稲妻のひとつが地面にぶつかると、凄まじい轟音とともに土煙があがった。
 「洒落になんないわよぉ」 どこまで逃げても追ってくる魔法の光。とうとうクレヨンは力尽きて、その場にへたり込んでしまう。あわや絶体絶命かと思われた、その時───
 放たれた電撃が、彼女に触れる寸前に全て打ち消された。驚愕する魔道。
 「どうも、遠路はるばるご苦労様です」
 妖魔たちの背後から、呑気な声が聞こえてくる。ぎょっとして振り向く魔族に向かって、声の主は言葉を続けた。「ですが戯れはお終いです。申し訳ありませんが、お引き取り願いましょう」
 「アーティス先生!」 クレヨンが目を輝かせて叫ぶ。同時に、変化魔法の効果も消滅した。

 『現れたな、画術師アーティス。丁度いい……この場で始末してくれるわ』
 「止したほうがいいですよ。あなたにも妻子があるでしょう」
 それを聞いた魔道の哄笑が響く。 『馬鹿め! いつまでも五年前と同じだと思うな。我ら魔族は、今や貴様の想像など遥かに越えた力をもっているのだ』
 「その割には、私の弟子たちに手こずっていたようですが」
 アーティスは、まるで動じていない風で飄々と答えた。
 「弟子…?」 鬼士たちがざわめく。
 『いい加減な事を言うな。あれはお前の画術だろう』
 画術師は首を横に振り、彼の背後を見るよう促す。魔道が目を向けると、そこには五人の幼い少女たちが得意げな表情で立ち並んでいた。その中には、あの黒髪の娘もいる。ふと鬼士たちの脇をすり抜けて、裸の少女が駆けてゆく。クレヨンはアーティスに抱きついたのち、弟子の中に混じった。
 『まさか、こんな小娘たちに』 画術師の言葉が嘘でない事は、先程の光景と、その余裕の表情から見て取れた。妖魔は歯軋りしてアーティスを睨みつける。
 「五年前と違うのは、こちらも同じだという事です」
 『黙れ!』
 激昂した魔道は、鬼士たちに詠唱の指示を出した。各々の手から電光が発生し、参謀のもとへ集まってゆく。やがて其れは巨大な雷球となり、凄まじい勢いでアーティスめがけて突進した。
 『砕け散れ、画術師!』
 銀髪の魔法使いは、弟子たちに下がるよう命じる。そして懐からさじペンを取り出すと、眼前の宙に向かって印を結んだ。稲妻と化した魔道が、彼に直撃する刹那──印が変形を始め、網のように妖魔を包み込む。雷球は、そのまま勢いを失って地面に転がり落ちた。
 魔道が破れたと知った鬼士たちは、指導者を捨て、蜘蛛の子を散らすように退散してしまった。
 「薄情だなあ」 マーカーが呆れたような声を上げると、マチエールは眉間に皺を寄せて頷く。
 「やはり魔族は信用できません」
 それを聞いたアクリルは、理由はわからないが妙に不愉快になった。

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 「さて──この地図を何処で手に入れたのか、お聞きしたいのですが」
 アーティスは、身動きの取れない魔道に向かって尋ねます。しかし予想通り、片目の悪魔は口を噤んで何も答えようとはしませんでした。画術師は嘆息して、今度は懐から紙を取り出します。筆で何かの記号を描くと、それを魔道の額に貼りつけて、再び彼に問いました。
 「どこで手に入れたのですか」
 不思議なことに、今度はべらべらと喋り始めます。どうやら本人の意志とは裏腹に、口が勝手に動いてしまうようでした。先程の戦いといい、少女たちは今更ながら師の実力を思い知らされます。

 魔道の口から出た名前は、六人の弟子を驚かせるには充分なものでした。
 まさか"遠見の地図"を描いたのが、あの人だったとは──彼女たちは動揺を隠しきれません。
  でもアーティスには予め見当がついていたらしく、ごく落ちついた表情でそれを聞いていました。
 「やはり、そうでしたか。彼が魔族に与したということは……厳しい戦いになりそうですね」
 画術師は急に真剣な顔つきになり、うな垂れている魔道に言います。 
 「あなた方だけで、ここに来たのは失敗でしたね。なぜ地図のことをガッシュに知らせなかったのです? 功名心が先走ると、ロクなことにならないという教訓になったでしょう」
 『大きなお世話だ。だが、貴様たちを足止めするのには成功したぞ。何しろ魔王様は既に、王都カンヴァスを襲撃するため、大軍団を率いて出向かれているのだからな。今さら足掻いたところで──』
 魔道はそこまで話して、まだ魔法の効果が続いている事を思い出し、蒼白になりました。
 「こいつ馬鹿」 冷淡な表情で、クレヨンが嫌味な言葉を投げかけます。
 突如、妖魔の様子が一変。全身を震わし、大量の汗を流し、息遣いも荒くなってきました。
 『ま、魔王様、お許しを……!』 すっかりおかしくなった魔道は、狼狽して地面をのたうち回ると、断末魔の絶叫を上げて息絶えます。骸は泡になって蒸発してしまい、跡形も残りませんでした。

 「わ、わた、わたしのせいじゃ、ないわよ」
 クレヨンが震えた声で弁解を始めます。誰も彼女のせいだとは思っていませんでしたが、魔道が死んだ理由は不可解です。しかし、そんな場合ではない──と、その場にいる全員が感じていました。
 「皆さん、事態は急転直下の様相を呈しました。私はこれから王都に向かいます。あなた達は……」
 アーティスは弟子に何か言いかけましたが、マーカーがそれを遮ります。
 「置いていく、なんて言わないでくださいよ」
 そんな彼女たちを見渡すと、誰ひとりとして『ここに残ろう』という顔をしていないのでした。
 (本当は、ひと休みさせてやりたい所ですが) アーティスは困ったように唸ると、しばらく考えたのち、長息して頷きます。
 「いいでしょう。ただし危険そうであれば、すぐに帰ってもらいます」
 師匠はパステルにスケッチブックを貸り、その一枚に六人の弟子と、自分の姿を描きます。
 そして、すぐまた消しゴムで消すと──彼らの姿が透明になり、お互いにも見えなくなりました。
 「さて、それでは行きましょう」

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 (どうして、あたしだけお留守番なのかな……)
 クーピィはひとり、塔の中に残っています。正確には一人ではなく、ペンシルが傍についていましたが──黒い鳥は、窓際で頬杖をつく彼女を励ますように言葉をかけました。
 『塔をまるっきり空にする訳にゃいかないってことさ。それだけだよ』 
 でもクーピィの気持ちは、あの空に浮かぶ雲のように、ふわふわして落ちつきません。
 「あたし、魔法ぜんぜんできないから。だからしょうがないんだ」
 少女は努めて明るい素振りで、花瓶の水を入れ替えたり、本棚をハタキで叩いたり、テーブルをぴかぴかに磨いたりして時間を潰します。ペンシルは、そんな彼女がどうも不憫でならないのでした。
 『あのさあ』 ふと話しかけようとした時、彼は末弟子の手元に、ぽたぽたと水滴が落ちているのに気付きます。はっとして顔を見ると、それはクーピィの涙でした。
 『おい!』
 ぶっきらぼうな態度を続けていたペンシルでしたが、遂にいたたまれなくなって、思わず声を上げてしまいます。びっくりした少女は、黒い鳥の(生まれつき)凶悪そうな目を見つめました。
 『あいつが──アーティスがお前を残したのはな。戦いが終わって帰ってきたとき、お前に居て欲しいからなんだよ。みんなを出迎えるために、ここに』
 ペンシルが何を言っているのか、一瞬クーピィにはわかりませんでした。
 『あとは自分で考えろ。馬鹿』
 目つきの悪い鳥は、何だか急に恥ずかしくなって、窓から外に飛び出していきます。
 (あなたには、あなたにしかできない──)
 彼女はふと、師匠の言葉を思い出しました。そして暫くじっと考えたのち……急に「うんうん」と頷くと、貯金箱から小銭を取り出して、何処かに(勝手に!)出かけていってしまいました。

画術師クーピィ
Art magician coopy